🔶白梅同窓会の歩み
①初期・戦後の復興期最初の白梅之塔が建立され、学徒隊生存者3人が中心となり、ご遺族、学徒隊の同期生、同窓生に塔建立と慰霊祭実施が伝えられ、1947年1月、第1回慰霊祭が行われた。交通機関も整わず、電話もない時代にもかかわらず、ご遺族、元職員、同窓生が多数参列。このことが戦後の同窓会活動の始まりとなっている。
毎年、先生方の手で慰霊祭が行われていたが、1952年、第6回慰霊祭と7周年忌法要が行われ、この年から同窓会主催となった。
同年、同窓会結成。1953年、第一回同窓会が開かれている。
②中期・約20年
女性も職業を持つのが一般的になり、同窓生も家庭と仕事の両立を実行する方も多くなった。子育てや仕事で精一杯だったと思われるが、一部の方々によって同窓会活動が続けられていた。
白梅之塔の環境整備が重点に進められ、白梅之塔への道しるべ、塔の案内板設置、祭壇の新調、1978年に33年法要、職員・生徒戦没者名碑などが整えられている。
1979年から、毎月役員会が開かれるようになり、組織的な同窓会活動の芽生えとなっている。
白梅之塔33年忌法要、昭和20年卒業予定者の卒業式(1979年)、※読売新聞大阪本社の白梅学徒看護隊取材(1980年)の頃から、元学徒たちを中心に若い同窓生の参加が多くなり、同窓会活動が活発化していった。
※1980年5月から8月まで104回にわたって新聞に掲載され、「沖縄・白梅の悲話」という単行本にもなっている。また、大阪大丸百貨店での読売新聞大阪本社主催・戦争展でも取り上げられた。
③後期・組織的な同窓会活動
1980年、各種役員を置くなど、組織的な同窓会活動に転じる。
1981年、会則を制定。正式名称を「沖縄県立第二高等女学校・白梅同窓会」とした。年会費を拠出、毎年総会を持ち、会報を発行するなど今日まで継続されている。
主な活動として、「白梅之塔慰霊祭」「同窓会総会」「春の野出」は三大行事として毎年実施。他に、同窓会名簿作成、母校記念碑「白梅の乙女たち」ブロンズ像の建立、新白梅之塔の建て替え(1992年)、白梅之塔合祀者銘碑の建て替え、白梅学徒隊関係としては、「平和への道しるべ・白梅学徒隊の記録」を発刊(1995年)。同じく白梅学徒隊関係で、「劇画・白梅の碑」、ドキュメンタリー映画「友の碑」を制作に協力している。
今日、同窓生は高齢化している。これからは無理せず、楽しい会活動を少しでも長く続けられるよう思案のしどころに来ている。