🔶白梅学徒護隊とは
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白梅学徒看護隊と呼ばれるようになった理由・・・
「白梅学徒看護隊」とは、1945(昭和20)年3月6日から6月4日まで、「学徒勤労動員令」によって第二十四師団第一野戦病院(山三四八六)の従軍補助看護婦として、沖縄戦に動員された沖縄県立第二高等女学校の四年生、56名編成の学徒隊のことです。県立第二高女の学徒隊を『白梅学徒看護隊』、または『白梅隊』と呼称するようになったのは戦後のことで、沖縄戦に動員された県内各女学校学徒隊の学校別を表して呼ばれるようになったものです。
白梅は、沖縄県立第二高等女学校のシンボルとして、校歌に謳われ、校旗・校章には清楚な白梅の花がデザインされていました。白梅は気品と風格を備え、更に、凛凛しさと進取の気風を併せ持つとして、生徒たちの意気も高揚されたものです。
昭和二十(一九四五)年三月六日、学徒勤労動員令によって、第二十四師団衛生看護教育隊(符号山三四八六廉隅隊)に入隊したときも、五十五名の生徒のそれぞれの胸には、白梅の校章が凛として光っていました。


